自殺の危機に瀕した作曲家② シューマン

シューマンがライン川に身を投げたことはよく知られている。1854年彼が44歳のときのことだった。自殺は幸い未遂に終わったが、自ら精神病院に行くことを望み、二度と自宅のクララのもとに戻ることはなかった。

彼がしかし自殺というものを身近に感じるようになったのは、15歳のときのことだった。愛する姉エミリエの投身自殺は、彼を謎の世界に引き摺り込む。彼は自分も投身するのではないかという恐怖に駆られて、決して二階より上の階に住もうとはしなくなった。さらに翌年にはシューマンの音楽家への道を擁護してくれていた父が亡くなり、シューマンの心の傷に追い打ちをかける。

シューマンが迷い込んだ世界は、荘子の『胡蝶の夢』に似ている。

荘子が蝶になる夢を見る。目が覚めると、荘子は自分が人間だと気づく。しかし、そこで彼は思う。人間である自分が蝶になる夢を見たのか、それとも蝶である自分が人間になる夢を見ているのか。どちらが夢で、どちらが現実か区別がつかない。

現実と幻想が入り混じる文学を書いたE.T.A.ホフマンをシューマンが愛したのもよくわかる。シューマンの幻想性もホフマンに匹敵する。ゆえにシューマンが作品に託した音をみつけるのは容易ではない。彼の心は、ものすごく繊細に、そしてものすごく情熱的に感じることができた。それは普通の人間が感じる世界をはるかに凌駕している。もしも彼の作品の背景に姉の自殺が大きくかかわっているとすれば、ここに眠る美の正体は得体のしれないものなのだ。

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