自殺の危機に瀕した作曲家① ベートーヴェン
ベートーヴェンは真剣に自殺を考えたことがあったらしい。それはかの有名な『ハイリゲンシュタットの遺書』とはまた違う時期だ。1812年に第7、第8交響曲を書いた後から1818年までの間のこと。1812年といえばナポレオン戦争の真っただ中。ヨーロッパ中がナポレオンに荒らされていた時期だった。ウィーンもその渦中にあった。年金が予定通りに払われないベートーヴェンは食糧危機に喘ぎ、健康も酷く損ね、挙句の果て弟子で恋人だったヨゼフィーネ・ダイム夫人との間に娘が生まれてしまい、精神的打撃も加わった。この事態において、彼は作曲の霊感も失う。愚作『ウエリントンの勝利』を書いたのだ。これが、共和主義者であったベートーヴェンが自分の信念にそむいて旧体制へ加担する行為であったことに気づいたときは、すでに完全に霊感から見放されていた。その時期に、彼はインド哲学書に巡り合う。
「あらゆる激情を抑制して、事の正否を顧みず、人生のあらゆる事柄を精力的に遂行する人は幸福である。問題は行為の動機であって、その結果ではない。報酬が行為の動機であり、それを目当てとするような人になるな...」
彼のメモ帳に残っていた言葉だ。
この苦難を乗り切り、1820年から1822年にかけて最後の3曲のピアノ・ソナタが生まれる。彼の作風は大きく変わり、見事に蘇ったフェニックスの姿を見せる。
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