アルマ・ロゼ ~アウシュヴィッツ強制収容所で露と消えたヴァイオリニスト

6月になって、ようやくドイツでは7か月ぶりにコンサートが解禁になりました。100%の集客は許されませんが、それでも始められるだけ、有難いです。

6月6日ヴュルツブルクのモーツァルト音楽祭における公演が皮切りとなりました。
今年100周年を迎えたこの音楽祭の記念公演の一環として、アウシュヴィッツ強制収容所で亡くなったヴァイオリニスト、アルマ・ロゼの生涯を描いた朗読付きコンサートの公演を依頼されました。共演者は、女優のコリンナ・ハールフォーフさんと、ヴァイオリニストのラティツァ・本田-ローゼンベルクさん。

なぜまた、モーツァルト音楽祭のお祝いの年に、このようなテーマを選ぶのか不思議でしたが、1月27日という日付がきっかけです。この日はモーツァルトの誕生日であると同時に、アウシュヴィッツ強制収容所が解放された日でもあるのです。その偶然の一致から、昨今ナショナリズムが台頭し、残念ながら人種差別が顕在する今日、私たちはそう遠くない過去に起こった残虐な行為をもう一度思い出す必要があるとモーツァルト音楽祭の総監督は考えたようです。彼女のこの勇気ある企画は大いに賞賛されるべきでしょう。

このプログラムは、9年前、ラインガウ音楽祭にマインツのシナゴークがコンサート会場として加えられたのを記念して、当音楽祭からの依頼で制作したものです。しかしその公演では、会場にユダヤ人の顔は見えませんでした。ロゼ一家はキリスト教に改宗していたという理由から、シナゴークに登録してるユダヤ人は、誰一人コンサートに現れなかったのです。悲しい出来事でした。

アルマ・ロゼ(1906-1944)

アルマ・ロゼはウィーン・フィルのコンサートマスターだったアルノルト・ロゼの娘で、グスタフ・マーラーの姪でした。生まれたときから音楽史上に燦然と輝く音楽家たちが家に出入りする環境で育ったアルマは、音楽以外何もできないお嬢様でしたが、ドイツ第三帝国がオーストリアを併合し、母の死という悲しみに直面した後、父を守ってとてつもない力を発揮します。父親と共に命からがらウィーンを飛び出し、イギリスへ逃亡を成功させた彼女でしたが、生計を立てるため逞しくも一人でヨーロッパ本土に戻ってオランダで演奏活動を始めたのでした。しかし、彼女の身には危険が押し寄せていました。オランダはすでにナチの手に落ちていたのです。アルマはフランスを通ってスイスに逃亡を図りますが、列車の中で捉えられ、アウシュヴィッツへ送られてしまいました。いざというときのために用意していた毒を塗った口紅も役に立たちませんでした。

美人だったアルマは、アウシュヴィッツで名高い人体実験のブロック10に入れられました。逃亡のため偽造結婚していた彼女のパスポートには見も知らずの人の名前が記されており、彼女がヴァイオリニストであることを知る人がいなかったのですが、死ぬ前に一度ヴァイオリンを弾きたいという彼女の申し出で素性が知れ、命拾いします。一命を取り留めた彼女は強制収容所で女性オーケストラの指揮者を任せられ、楽器が弾けなくても楽譜が書ける人がいれば起用するなどして、多くの女性たちの命を救ったのでした。

強制収容所には男性のオーケストラがあり、それはプロの音楽家たちによる集団でしたが、女性たちのオーケストラはほとんどがアマチュア。その彼女たちを厳しく指導し、演奏の水準を高めることにアルマは成功します。厳しくすることで団員たちの命が救えることを直感していた彼女は、あえて手をゆるめませんでした。アーサー・ミラーの制作した映画に“Playing for time”というのがあり、アウシュヴィッツとアルマについて描かれていますが、これは収容所にいたフランス人女性の偽証言をもとに描かれているため、あるまじきことにアルマは鬼のような人物として現れます。当然のごとく、この映画が封切された後、収容所にいた女性たちから抗議が殺到しました。しかし、一端受けた汚名はなかなか消えるものではありません。長い間アルマは誤解される羽目になりました。

さて、収容所で演奏される音楽を芸術と呼べるかどうかは別としても、この地獄でクラシック音楽が流れており、コンサートが行われていたのは事実です。しかしSS隊員が彼女たちの演奏を聴いて涙するも、コンサート会場を出るとまた人間をガス室へ送る鬼に早変わりしたという事実を、どう解釈すればよいのでしょう。これは、多くの問題を提起しています。中には心底音楽に心を動かされた隊員たちもいたことでしょう。しかし、音楽はSS隊員たちが、自分たちの悪の顔を仮面で隠す道具でしかなかったのではないかという気がしてなりません。音楽の威力を信じたいのは山々ですが、あの状況において音楽がそのような力を発揮するなどと考えるのはナイーヴでしょう。音楽は全体主義に勝てませんでした。優れた経歴を持つ医師メンゲレが音楽に精通しながらもどうしてあれだけの鬼畜になれたのか。 音楽を自分の優秀さを示す象徴のように扱った彼のような人間の存在を知るとき、我々は音楽とは何か、という問いの答えを真剣に考えさせられるのです。

共演しているヴァイオリニスト、本田-ローゼンベルクさんの母方のお祖父様とお祖母様はユダヤ人で、早々とアウシュヴィッツに送られました。お祖父様は奇跡的に生還なさいましたが、収容所のことはほとんど話そうとなさらなかったそうです。
当日演奏したプログラムは以下のとおりです。

【プログラム】
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ KV304、305
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番『春』より 第3楽章
ブラームス:ワルツ op.39より
ヤナーチェク:ヴァイオリン・ソナタ第3楽章
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 op.72 No.2
クライスラー:愛の悲しみ
ブロッホ:ニグン
フランク:ヴァイオリン・ソナタ 第1楽章
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ イ短調 第3楽章
モンティ:チャールダーシュ
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番『悲愴』第2楽章
シューベルト:軍隊行進曲
シューマン:トロイメライ
ショパン:ノクターン 第20番 嬰ハ短調(遺作)

この実況録音は、7月22日ドイツ時間で20:05(日本時間:7月23日午前3:05)から、バイエルン放送局のラジオで放送されます。

詳しくは、私のホームページをご覧ください。

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