自殺の危機に瀕した作曲家④ ラフマニノフ

ラフマニノフを崇拝し彼を励まし続けたマリエッタ・シャギニャンは、ラフマニノフの謙虚さを「犯罪的なほどの精神的謙虚さ」と称していた。これに対して彼は彼女への手紙にしたためた。

残念ながら私はこの“犯罪的なほどの謙虚さ”を持ち合わせています... これは、私が自分自身を信じられないことからきているのです。自分を信じる方法を教えて欲しいのです。

彼の作品を聴くにつけ、また彼の写真を見るにつけ、とても自信のなかった人とは思えない。しかし、実際はそうだった。ゆえにピアノ・ソナタ第1番を書いた時も、イグムノフに指摘され、大幅にカットした。果たしてイグムノフが確かな見解を持っていたのか、疑わしい。オリジナルはどこかに残っているらしいが、これは公にされていない。

自分を信じられなくなったのは、交響曲第1番初演の大惨敗がきっかけだったのだろう。失敗の原因が、指揮を引き受けたグラズノフのズボラな練習にあったことを指摘するほどラフマニノフは大柄でなかった。さらに、この交響曲を滅茶苦茶に批判したキュイの音楽的感受性の低さが拍車をかけた。彼らはラフマニノフの独創性を理解できなかったのだ。しかしこの事件はラフマニノフの精神をズタズタに引き裂いた。もしあのとき精神科医のニコライ・ダーリがいなかったら、ラフマニノフは自殺しかねないところだっただろう。それほどまでに彼の神経衰弱はひどかった。

交響曲第1番は愛する人妻アンナへ捧げられていた。草稿には「A.L.へ」という献呈の文字と、『アンナ・カレーニナ』のエピグラフ「復讐は我にあり、我こそこの借りを返さん」が記されていた。人妻に恋をした彼の心は、すでに19歳のとき彼女に歌曲「いや、お願いだ、行かないで」作品4-1を捧げたことからも充分窺い知ることができる。アンナは友人のラドゥイジェンスキーの妻で美しいジプシーの女性であった。その彼女に捧げた作品が“身を切られる思いに苛まれた苦悩の時間”を与えたと彼は感じたのであろうか...

 アメリカに亡命した後、ラフマニノフ一家はスイスのフィアヴァルトシュテッテ湖湖畔に「セナル」と名付けられた別荘を持っていた。ある晩、この別荘を訪れた親友のシャリアーピンが、『黒い瞳』を歌った。これはジプシーの女性を謳ったロシア民謡だ。翌朝3時、メイドが起きて庭に出てみると、ラフマニノフがむせび泣いていた。

聞いたかい、昨夜のシャリアーピンの歌を...


シャリアーピン:『黒い瞳』

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