自殺の危機に瀕した作曲家③ チャイコフスキー

チャイコフスキーにとって、1877年は忌まわしい年だった。彼は37歳。この歳になって何を血迷ったか彼はアントニーナ・ミリューコヴァと結婚する。そして一週間経たないうちに、自分の決意がとんでもなかったことを思い知る。結婚が魂を救ってくれることを夢見た彼の公算は、間違っていた。もともと結婚そのものに嫌悪感を抱いていながら、愛なき結婚に踏み切った背景には、道徳的苦悩の隠蔽があったのであろうか。それとも、『オネーギン』のタチアナのような状況にアントニーナを陥らせたくない慈悲の心があったのか。しかし、結婚前からすでに激しい神経発作に苦しんでいたチャイコフスキーの精神状態は、良くなるどころか発狂寸前だった。ある夜、彼は人目を忍んでモスクワ川の冷たい水に入り自殺を試みる。しかし、死には至らなかった。「死だけが解決策のように思われましたが、自殺するわけにはいかなかった」と彼は後日メック夫人に書き送っている。結局、アントニーナとの関係は、メック夫人の援助を得て、お金で決着がついた。しかし、離婚は成立しなかった。彼女に非があったわけではないので、離婚する理由にならず、彼らは終生籍を入れたままだった。

1893年、突如チャイコフスキーの死が報じられる。死因は未だに謎である。チィコフスキーの秘密は厳重に守られているのだ。コレラで亡くなった説と、同性愛者であることが発覚して自殺を強いられたという説があり、今日では自殺説が有力になっている。もし自殺の強要ということであれば、死刑の判決を受けたということになる。何と恐ろしい!死刑囚の汚名を着せられた彼が、死ぬまでの間をいかに過ごしていたのだろうかと思うと、いたたまれなくなる。しかし、真実のほどはわからない。

彼が同性愛者であったとすれば、ロシアで罪悪とされた特殊なエロスの世界を彷徨する自分に苦しんだことは容易に想像できる。今にも壊れそうなガラス細工のような子供だったチャイコフスキーが、生涯病的なまでの人見知りと鬱に苦しみ、挙句の果て不埒な行為と称される自分の愛の姿に悶々とするとは... しかし、この繊細で神経質な偉大なる人物は、生涯忠実な存在に擁護されていた。音楽だ。自分のことを語らなかった彼だが、自己の心的体験を音楽で誠実に表現することに一生を捧げた。そこには気取りも誇張もなかった。彼の音楽がまっすぐ心に訴えかけてくるのはそのためだ。当時西欧では彼の作品がロシア的すぎるとして批判されることもしばしばであったが、そのロシア的要素こそ彼の音楽が持つ情熱とメランコリーの源泉にほかならなかった。

死の9日前に初演された交響曲第6番『悲愴』は、ロシアの聴衆にも理解されなかった。しかし彼自身は自作中で最高の作品だと確信していた。この曲からは彼の内面の葛藤が聞こえてくる。第3楽章は生の喜びを表したと解釈されることも多いが、私には人間の様々な思いが錯綜している世界のように思えて、恐怖とも歓喜ともつかない戦慄を覚える。シューマンに通じる世界だ。続く終楽章はレクイエムだろうか。チャイコフスキーが、この作品を亡くなった友人のレクイエムとして書いたという証言が残っている。興味深いことに、この楽章とモーツァルトのピアノのための小品『アダージョ』KV540の類似点が指摘されている。チャイコフスキーが愛してやまなかったモーツァルトと合体したこの楽章は、奇しくも作曲者自身へのレクイエムとなった。


名優スモクトゥノフスキーがチャイコフスキーを演じるロシア映画『チャイコフスキー』がYouTubeでご覧いただけます。字幕を英語に設定することも可能です。

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